最高裁判所第一小法廷 昭和28年(オ)1141号 判決
本籍
大阪府岸和田市南上町一〇八九番地
住所
高知県長岡郡長岡村野中第六区
上告人
前田勝美
右訴訟代理人弁護士
網野林次
本籍
大阪府岸和田市南上町一〇八九番地
住所
高知県香美郡山田町一八五一番地 中西精雅方
被上告人
前田艶子
右当事者間の離婚請求事件について、高松高等裁判所が昭和二八年九月二一日言い渡した判決に対し、上告人から全部破棄を求める旨の上告申立があつた。よつて当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告理由第一点は原判決の主文には矛盾齟齬があると主張し、そして原判決の主文第一項には「本件控訴を棄却する」とあり、その第二項乃至第五項には「原判決を左のとおり変更する(二項)。控訴人と被控訴人とを離婚する(三項)。控訴人と被控訴人との間に生れた長男前田昭雄、同二男前田昭二郎の親権者を父たる控訴人、同じく長女啓子の親権者を母たる被控訴人と定める(四項)。訴訟費用は第一、二審共控訴人の負担とする(五項)。」とあつて、原審は果して本件控訴を理由ありとしたものであるか否かについて、前後牴触する判示をしているが如くに見える。
しかし、原判決の全文を熟読すれば、原審は被上告人(被控訴人であり、原告である。)の本訴離婚の請求を理由ありと認め、従つてその請求を認容した点において第一審判決を正当としたが、民法八一九条二項により親権者を定める点に関しては前掲主文第四項記載のとおりに定めるのを相当と認め、従つて第一審判決が長女啓子の親権者をも上告人と定めたのを失当とし、結局本件控訴は一部理由ありと判断し、なお訴訟費用は第一、二審とも上告人をして負担せしむべきものとの判決をなしたものであることが了解できる。
およそ、控訴を一部理由ありとした場合においては、控訴審判決の主文では、原判決中控訴を理由ありとする失当の部分のみを取消し、これに代えて改めてなすべき判断の結論を掲記し、控訴を理由なしとする部分については、控訴を棄却する旨すなわち原判決を維持する趣旨を明確にすれば足るのであるが(民訴一九八条参照)、一般には「原判決を左のとおり変更する」旨の記載をなし、次に原判決中控訴を理由ありとした部分を変更してこれに代えて正になすべき判断の結論を掲記し、その他の部分は原判決主文同旨の記載をなし、以て原判決中如何なる部分が変更され、如何なる部分が維持されたか、換言すれば控訴が一部についてのみ理由ありとされ、他の部分については理由なしとして排斥されたかを明確にする慣例である。されば本件でも、原判決はその主文において前示第二項以下の部分のみを掲記さえすれば、その判旨を表現するに必要にして十分であつたのであり、第一項の如きは、全く無用の記載をなしたに過ぎないものといわざるを得ない。原審がかかる無用の記載をなすに至つた所以のものは、本件控訴の申立において上告人は第一審判決中離婚を宣告した部分のみに言及し、裁判所が職権を以て判断し得べき親権者の裁定に関する点には触れていなかつたため、単に親権者の裁定の点について第一審判決を失当と認めただけで離婚の請求に関する限り第一審判決を正当としこれを維持すべきものと考慮した原審はその趣旨を表現するため「本件控訴を棄却する」との記載をなしたに過ぎないものと認められる。この意味において右主文第一項の記載は主文第三項の記載と重複して同一趣旨を表明したに止まるのであつて、必ずしも所論のように前後矛盾するものではない。それ故論旨は採るを得ない。
また上告理由第二点は違憲をいう点もあるが、その実質は事実審の裁量に属する証拠の取捨判断、事実認定を非難し、原審の認定に即しない事実を前提として民法七七〇条一項五号の擬律錯誤を云為するに帰し、(原審の確定した事実関係の下では本件婚姻につきこれを継続し難い重大な事由があるとなした原判旨は首肯できる。)「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」(昭和二五年五月四日法律一三八号)一号ないし三号のいずれにも該当せず、又同法にいわゆる「法令の解釈に関する重要な主張を含む」ものとは認められない。
よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 岩松三郎 裁判官 真野毅 裁判官 斎藤悠輔 裁判官 入江俊郎)
昭和二八年(オ)第一一四一号
上告人 前田勝美
被上告人 前田艶子
上告代理人弁護士網野林次の上告理由
第一点
原審判決は主文に矛盾そごがある即ち本件控訴を棄却しておきながら其の次に原判決を左の通り変更するとある、上告人(控訴人、被告)と被上告人(被控訴人、原告)とを離婚し其の三人の子のうち二人は上告人、一人は被上告人を親権者とすると云ふにある。
而して其の理由に於ても
控訴人を長男昭雄二男昭二郎の親権者として之を養育せしむることは右両児のために適当であるが長女啓子は昭和二十二年七月生れの幼児であるから母である被控訴人を親権者として其の手許で看護養育させる方が自然でもあり適当である。
と述べており第一審では此の三人の子の扶養親権者を夫である上告人のみとしておるのを原審では二人とし此の点に於て上告人の負担が減少し少くとも一部上告人の利益の判決となつている。
そうして其の理由自身に於て
されば原判決中離婚の部分は正当であるが右に符合しない親権者を定める部分は失当であるからこれを変更する
と述べて一部上告人の主張を容れながら一方では全部の主張を棄却すると云ふのは判決自体に大きなる矛盾そごがあつて違法である。
第二点
原審のあげておる双方の事実上の主張としては
被上告人に於て
原被告は昭和十五年十一月九日媒酌人の仲介により結婚し爾来同居するに至つたが翌十六年十一月二十八日婚姻の届出をした。そして結婚後同二十二年七月八日迄の間に弐男壱女即ち昭雄、昭二郎及啓子を儲けた。ところが時の経過により被告の素行は不良化の一路をたどり妻子ある身をも省みず麻雀、碁、将棋等による諸種の賭事に打ち耽り其の上飲酒を好んで原告を甫め参児に対する生活資金の給与もしないので、原告は其の非行を矯正すべく、長年月に至つて被告を諫止したか被告は馬耳東風凡てきゝ入れるところがなく、それで原告としてもこれ以上の隠忍は不能であるのみならずこれ以上婚姻を継続するに由がない以上の事実は民法第七百七十条第五号に所謂婚姻を継続しがたい重大な事由に該るから原告は被告との離婚を求める尚前記啓子の親権者は原告と定める旨の裁判を求め(更に原審に於て)
将来この婚姻関係を続けることは自己の経済的能力のなくなつた今日不可能である
と述べ
之に対し上告人は
原告主張の各日に結婚及婚姻の届出をしたこと、及原被告が原告主張の頃参児を儲けたことは認めるが其他の点は否認する。
被告は四才のとき脳脊髓脳炎を病み之がため聴覚を失し唖者となつたが其他は一人前以上の身心で麻裏草履職人としては二人前の技量を持ち其の収入も亦然りである。処て原告と被告とは、原告の実姉の引き合せで昭和十六年四月事実上の婚姻をしたがそれも原告自ら進んで被告家に輿入したのである、其の後長男が生れるについて昭和十六年十一月二十八日正式婚姻届を為し、現在では弐男壱女の参人の子まである仲である被告は唖者なるが故に出来るだけ原告の気をそこなわないように親切の限りをつくし、愛情をさゝげると共に真面目に働いて妻子の生活にも困らないように努めてきた、勿論別に娯楽をやる能力もないが麻雀、碁、将棋は近隣知人と夜分などやつて一片の楽みとしてはいるが賭事など思いもよらないことである、原告は近時屡々外出し情夫さえあるような風評もあるが被告は自己の立場と子供の前途を考えて何の異存も表示せず之を不問に付してきている、被告か唖者であることは最初から承知の上で結ばれたこと故今更之を理由として離別を求めるわけにはいかないそれかと言つて他に原告主張のような婚姻を継続し難い重大な事由は一も存在しない、仍つて本訴請求は当然棄却さるべきである(控訴審に於て)。
仮に被控訴人主張のような事実が控訴人にあつたとしても控訴人と被控訴人とは十三年間も婚姻生活を続けていたのであり且三児を儲けている間柄であるからこれある故を以て直に婚姻を継続しがたい事由となすことは出来ない
と述べている。
之に対し原判決の理由は
成立に争のない甲第二号証、一審証人藤本信勝(後記措信しない部分を除く)同中西精雅同藤野百合子(各第一、二回)の各証言並に一審に於ける被控訴本人の尋問の結果(第一、二回)を綜合すれば次のような事実を認めることができる、
控訴人はろう唖者であるかゴム裏草履製造修繕の技量により結婚当初は収入もあり被控訴人また衣類の行商をして生活を助け一家円満に幸福な生活を続け其の間に子をもなしたがやがて控訴人が囲碁将棋麻雀や賭事に凝り初めてより仕事にはげます家庭を省みないようになり、かてて加へて経済事情の変動はゴム裏草履の需要の減少を来たし其の結果生活苦にあえぐようになり、勢い夫婦が不和となつた昭和二十二年四月控訴人は幡多方面へ衣類の行商に出かけたまゝ一ケ月位いも帰宅せず其の間他人から預つた商品の代金壱万五千円位を横領費消したため、被控訴人は病後の身体を押して稼いだ金員で弁償したが控訴人はまた〓同年暮頃行商をして八千円位の借財を負ふて帰来したうえ仕事に励ます専ら生活費は被控訴人の勤労に依存するようになり被控訴人はその苦痛に堪えかねて止むなく昭和二十四年二月一たん実家に帰り控訴人との離婚調停を高知家庭裁判所に申立てたところ控訴人は人を介して自己の非を改めることを誓つたため子供の将来を考え右申立を取下げて復帰した其後一、二週間は真面目に働いていたけれど又々家庭を省みなくなり生活は愈々窮迫するにいたつた控訴人の父は御免町で青物商を盛大に経営しながら何等援助の手を差し伸ばさず被控訴人は経済的にも精神的にも苦しい立場に追いこまれ其の苦痛に堪えかねて遂に昭和二十七年一月末実家に帰るにいたつたものである。
原審証人野村孝磨、原審及当審証人前田糸菊、当審証人岩下徳義、同中村等、同藤野薫等の各証言控訴本人の供述中右認定に牴触する部分は容易に信用出来ない、しかして右認定のように控訴人と被控訴人との婚姻生活は現在破綻に瀕しているがそれは控訴人の責に帰すべき事由に基くものであると云ふべく控訴人がろう唖者でありしかも三人の子をも儲けた現在将来再び夫婦として結びつきを期待したいのであるが被控訴人が絶対復帰を望まず且控訴人の叙上の行状に照せばもはや将来同居して互に共力し援助することを期待しがたくかゝる夫を持つことは被控訴人の負担を重くするばかりであつて此の上婚姻生活を継続することは到底可能であるとは思はれないから被控訴人と控訴人との婚姻を継続しがたい重大な事由があるものと認める。されば控訴人の本訴請求は正当である
と云ふにある。
ところが斯様な事実を以つて民法第七百七十条第五号に該当するや否やが重大なる法律問題である。
原審が右事実認定の証拠としたる証人中西精雅は被上告人の父親で又藤野百合子は実の姉である。藤本信勝は他人であるか同人の供述は後記のように婚姻を持続しがたい事実は全然ない。ただ実家へ帰つた原因は仕事が不況で生活難からであると思ふと云ふにある右被上告人の父親及実姉の証言は措信出来ない部分が大部分であるが今は仮に之を真実として考へてみるに
結局被上告人が実家に帰つたこと、又本件離婚を求める原因は前記藤本信勝証人の証言の如く
上告人のゴム裏製造業が不況で生活難と云ふことに帰する。
如何なる職業でも浮き沈みはある、月給取のような固定収の人々でも物価の高低によつて生活上楽不楽がある、況んや商売人に於ておやである。
金のある人と一緒になり、金がなくなると別れる。収入があつて楽なときは姻婚を持続し、不況のために収入がなくなり、生活が苦しくなると離婚すると云ふことが認められるとすると憲法の基本的人権は果して尊重せられるや否や児童の人権は保護されるや否や重大なる問題なりと思考せられる。
原判決によると
本件夫婦間には三人の児童がある、十三年間も共に苦労をしてきている、而も夫はろう唖者である。(子供はろう唖でない、)
当初婚姻するに際し
上告人がろう唖であることは承知の上である。
人生の航路に苦楽のあることも承知の上である。
児童を養育し之を護るべきことも承知の上である。
人生何人も屡々遭遇することあるべき生活苦を如何にも予約せなかつたものゝ如く思つてこれを原因として離婚を求むべきものでない。
上告人の碁、将棋、これは後記のように単なる楽しみとしてやるので断じて賭事などしたことはないが、斯様なことは何人もあること、殊に上告人はろう唖であるので之が唯一の娯楽として仕事に励んでおる。
賭事などして警察に引かれたり、処罰を受けた事実もない、行商に出て一ケ月位い帰宅せないことが仮にあつたとしても、それは遠く行商に行くことであるから当然のことであらう。
商品代壱万五千円を横領費消した事実も全然ないが之が仮に事実で被上告人が此の金を弁償したとしてもそれは夫婦のことであるからそれ位いの愛情は夫のためにも児童のためにも注いで然るべきことである。
賭博罪とか横領罪に処せられたら兎も角賭事をしたとか横領費消したとか云ふことは被上告人身内の親兄弟の一言を以つてたやすく之を信じて此の重大事実を断定すべきでない。
原審が援用している藤本信勝の証言によると
私は原被告と親戚関係はありません。
私は民生委員と児竟福祉委員とをしており被告とは軒並びの近所に住んでいます。
原被告は結婚当時はうらやましい程仲よく暮していました。
原被告の仲が悪くなつてからも被告は原告を殴打したりするようなことはありませんでした。
又被告は子ぼんのうで子供の世話もよくしていました。
被告はゴム裏草履製造職人としての腕たちで仕事さえあれば普通の職人の二倍位いの収入を得ることが出来夏は仕事が少いので最近は日に四、五百円月には壱万弐参千円の収入を得ています。
現在の収入は充分家族を養ふことが出来ます。
被告が碁将棋をするのを見かけたことはありますが賭博をするのを見聞したことはありません。
碁将棋も雨の降る日などの仕事のないときにするので仕事を怠けるのではありません。
被告は真面目に働く人です。
被告が今までに賭博で警察へ連れられたことは私の知る限りではありません。
仮に原被告が離婚すれば子供のためにも困ると思います。
今後原告が実家へ帰る原因は結局ゴム裏の仕事が不況であるため生活難からであると思います。
私等としては左程重大な理由はないと思います。
前述のように被告所とは壁二つの隣であるため原被告の夫婦喧嘩の内容がきこえますが被告が賭博したことで喧嘩しているのを聞いたことはありません。
一審証人野村孝磨の証言によると
私は原被告とは親族関係はありません、私は被告の家と五、六軒隔つた近所に住んでおります、そして昭和二十六年四月頃からこの部落の駐在員をしています。
被告は聾唖者ですがよく働く人です、ゴム裏草履職人としては特に秀れており部落でも一、二番を競ふ腕立ちです。
従つて仕事さえあれば収入も多く得ることが出来、病気等特別の出費がなければ被告の収入で充分家族を養ふことが出来ます。
又被告が碁将棋するのを見受けたことはありますが賭博をするのを見たことはなく又そのような噂をきいたことはありません。
被告が妻子を虐待するのを見聞したこともありません、被告は子供を可愛がります。
従つて被告は原告に帰られると子供の養育等のためにも困ります。
山本輝起の証言によると
私は原被告とは親族関係はありません。
私は被告を同人が十六、七才の頃から結婚する一年前頃までゴム裏縫の職人として使つていました。
被告はゴム裏縫職人として技倆能力共にあり私のいふことも従順にきいてくれました。
被告の技能で仕事をすれば一家の生計をたてるに十分の収入を得ることができます。
被告は真面目に働く人で私が雇つていた間賭博をするようなことはなく又友人との交際も円満でした。
そして碁将棋もして仕事を怠るようなことはありませんでした。
前田糸菊の証言によると
私は被告の母です。
被告は四、五才の頃脳脊ずい膜炎を患つて現在のような聾唖になりました。
原告と被告は好き合つて一緒になつたのです。
云ふまでもなく結婚当時は仲よく暮していました、戦時中原告は「被告が仮に普通の体をしていれは今頃は戦場へ行つているかも知れないが不具者であるためこうして家にいて働いてくれる」と喜んでいました。
私は被告が不具者であるから原告に帰られたら困るので出来るだけ被告や其の家族の世話をしました。
被告等の子供が三人になつてからは生活が困るだらうと思つて長男と弐男はもう五年位前から私所で三度の食事をさせています。
被告は賭博をしたことはありません、又原告が働いて集めた金を賭博に持ち出したり、そのため警察に呼び出されたこともありません。
そして被告が酒を飲んで家へ帰つてこなかつた事もありません。
本件が家庭裁判所の調停事件になつた際私が原告に「いま一寸の迷であるから子供もあることだし将来帰りたいときは何時でも帰れるから籍はおいておけ」と云ふと原告は「再婚しなければならぬから足許を明くしておかないといかない」と申しました。
別に再婚する人が決つているのではないようですが「えい人が出来てる」ような噂はあります。
そのえい人と云ふのは花山はるしげといふ人花山は五年位い前に死んだ私の娘の夫に当る人です。
原告は昭和二十七年旧正月頃実家へ帰りましたが花山はそれと前後して私方別棟から他所へ転出しました。
何時頃か記憶にないか雨の降つたある晩のこと原告の帰りがおそいので被告が末の子を背負つて原告を迎へに電車停留所へ行つたところ電車から原告と花山とが一緒に出てきたと被告が怒つていました。
又あるときは今年八才になる孫が私に
「お母ちやんは花山のおんちやんとは何時もニコニコ顔で話すそれでお父ちやんがよけいに怒る」と言つたことがある。
近所の人から「原告が出て困つたね」といふ話のついでに「原告は花山と一緒になるため出たそうだが」といふようなことを聞いたこともあります。
被告に使つておけと言つて金をやつたことが度々あります。
原告にも融通してくれといふときには金を手渡したこともあります、それを払つたときもあり其の儘のときもありました。
被告本人の供述によると、
私と原告は好合で一緒になつたのです。
原告との結婚生活中私は原告を可愛がりました。
私は賭博をしたことはありません幡多の片島宿毛等へ行商したがそこで賭博したことありません。
今まで生活上の援助として母から若干の金を貰つたことがあります。
私は幡多へ行商にいつて一ケ月も二ケ月も帰らなかつたことはありません。
私は原告には情夫があると思います。
私は原告と、離婚することは嫌やです。
原告と一緒に暮したいからです。
二審証人岩下徳義の証言によると
勝美は「おし」であるか職人としては一人前以上の仕事をし履物の時季になると相当の収入もあり暮しも楽になりますが時期外になると生活も少し困難になることもあります。
斯様なときには勝美さんの実家が材料を購入して援助します。
勝美さんは碁はちよい〓打ちますか賭博はいたしません、私は賭博するのを見たこともありませんし聞いたこともありません。
おしで耳もきこえぬから賭博するとは思へません。
又左様な余力もないと思います。
二審証人中村等の証言によると、
控訴人勝美は真面目な人間です。
勝美が賭博をしているといふ風評をきいたことも私の家で賭博をしたこともありません。
従て勝美が私方で賭博している現場を被上告人につかまつたと云ふことはありません。
二審証人前田糸菊の証言では、
人の噂で艶子が浮気をしていると云ふのを勝美が知つて争つていたことがある。
今日でも艶子が男があるといふ噂かあります、其の相手の男といふのは花山といふ人であるとの噂です、その花山は勝美と同じ屋敷内に去年の二月頃まで住んでおりました。
花山が病気で入院中艶子は通いで看病にいつていたといふことです。
私共はそんな噂があつても子供のためには何うしても母親がなければならぬので早く帰つて貰いたいと念しております。
艶子は勝美が中村等方でバクチを打つたと申しておりますか中村もそんなことはないと申しております。
現在では勝美は麻裏の修理をしたり車力を引いたりして一生懸命に働いております。
夫婦が一緒に暮せないといふ事情は格別ありません、二人の生活が何うしても出来ないようなら私共が面倒をみてやります。
二審証人藤野薫の証言によると
私は勝美の伯父であります。
艶子の姉の百合子が私の弟の妻になつており、そのような縁で私も艶子を知つたのです。
勝美は麻裏草履の職人としては三人前の腕があり適当の人があれば嫁を貰つてやらねばならぬかと百合子に話し百合子の世話で艶子を勝美の嫁に貰ふことになつたのです。
艶子も勝美の腕を見込んで嫁いてきたのです戦争になつて草履の裏に使ふゴムが手に入らなくなり、そのため仕事もなくなつてしまつたのか別れるという原因になつてるのだらうと考へます。
勝美と艶子が夫婦喧嘩をしたといふことは私も一、二度きいたが夫婦喧嘩はどこにもあることであり其の原因などに付いて私は深いことは知りません。
勝美がバクチを打つたといふことは聞いたことはありません。
叙上の証言中藤野薫と前田糸菊以外は親族関係なく白の他人であり而も藤本信勝は民生委員と児童福祉委員を兼ね、野村孝磨は部落駐在員で何れも本件当事者間の内状をよく知るものである。
之等証人の証言は決して嘘を言つておるものでなく何れも充分措信し得るものである。
結局之等の証言によると、
(1) 結婚当時収入もあつて一家円満な家庭生活を続けられたこと
(2) 勝美が囲碁、将棋、麻雀、賭事に凝りたことなく真面目に仕事に励んでること
(3) ゴム裏草履の需要減少し、生活に困難をきたしたこと
(4) 行商で一ケ月も家をあけたことがないこと
(5) 商品代など横領したことないこと
(6) 勝美の実家から度々援助したこと
(7) 原審判決当時勝美は車力まで引いて一生懸命働いていること
などが立証される、而して最後に
(8) 経済事情の変動によつてゴム裏草履の需要並に供給が減少し生活上困難をきたしたこと
(9) 被上告人の離婚の原因は此の生活苦にあること
が断定される。
仍て叙上の実体より次の理由が成立すると信ずる。
第一、原判決は採証の方則を誤つている違法があること
次に
第二、原判決は法律の適用を誤つている違法があること
第三、憲法第二十四条及第十三条に反する
右第三に付いて尚一言すれば
すべて国民は個人として尊重され且自由を持つている、然し此の自由にしても尊重にしても我儘であつてはならない、適正適度がある、即ち公共の福祉に反しない限りに於て尊重され自由である、されば民法第一条に於て私権は公共の福祉に遵ふといひ又権利の濫用は之を許さずと宣しておる。
而して婚姻が同等の権利を基本として結合し維持されるものであることは論ないか之また公共の福祉に反する所為は許されない、であるから憲法第二十四条第一項にも婚姻は家庭生活を維持する上に於て相互に協力し合はねばならぬと規定されておる。
されば本件の如き場合、仮に夫に多少の欠点不満があつたにしても十三年も婚姻を維持し且三人の子まである仲に於て夫が失職したとか収入が減少したとかの理由を以て婚姻の解消を求めるのは権利の濫用にもなるし公共の福祉にも反するし又両性の協力義務にも反する。
斯様にして本件は
最高裁判所に於ける民事上告事件の特例に関する法律第一項第一号第二号第三号又同法の法令の解釈に関する重要なる主張を含むものに該当するものと認められるので何卒原判決を破毀し相当の御裁判あらんことを求む。
以上